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Guitars as Interior

「ギターとはなにか?」と問えば、ほぼ100%の人間が「楽器」と返すだろう。
それが一般的なギターに対する認識であり、「音楽を表現するための道具」
言い換えれば目的を達成するための手段として、捉えられているのである。
私はその一般論に関して、異論を申し立てるつもりはない。
何の変哲もないただの事実である。

ただ、私の考え方はそうではない。ギターは「作品」である。
ギターは「楽器」でありながらも「芸術作品」であり「インテリア」である。
単に音楽を達成する手段ではなく、ギターの存在そのものに価値があると考えているのだ。
例として Paul Read SmithのCustom24シリーズを見ていただきたい。
この透き通るようなボディの美しい杢目を見て、
感嘆の吐息をもらさない人間はいないであろう。
私は、街のギターショップに飾られているPRS達を見るたびに、
そう確信してしまうほどの美しさを感じている
(写真では伝わりきらない部分も多々あるので是非現物を見てほしい)。

さもすれば、ギターの存在価値は音を奏でるだけでなく、
その芸術性にもあると断言できるのではないだろうか。

ギターは単なる道具ではないと言ったが、では芸術作品とはなんなのだろうか。
人によって諸説はあるだろうが
「人の感情に何かしらを訴えかけるもの」
というのが私の中での芸術の定義である。
私は職人が命を吹き込んだギターやベースの自然が作り出した美しい紋様や、
思わず狼狽するほどの美しい曲線を見ていると、恋にも似た感情を覚えるのだ。
これは壁一面にかかった絵画を見たときの感覚とどこか似ている。
まるで世界には自分とその作品しか存在しないような感覚。
だからこそ私にとってギターは芸術作品なのだ。

ギターは商業的作品でありながら芸術作品としての側面を持っている。
そしてそれはインテリアも全く同じである。
例えば椅子であれば「座り心地が優れている」という商業的価値に加えて、
その椅子自体の見た目という外観上の価値も持ち合わせている。
芸術的価値のあるインテリアというものはその物の中で完結せずに、
そのインテリアによって部屋が定義されるようなもののことを指すのだと思っている。
インテリアを中心にその部屋のイメージが決定されていくのである。
それはギターにおいても同じことが発生している場合がある。
妖艶なギターの輝きによって部屋全体に荘厳な雰囲気が漂うのだ。
試しに大きめのギターショップに行ってみれば簡単にこの感覚を味わうことができる。
リーズナブルなギターをおいている売り場と、
高級なギターをおいている売り場では露骨にその雰囲気が違っている。
優れたインテリアを「その存在が空間を定義するもの」であるとするならば、
ギターも優れたインテリアであるといえよう。

私は商業的作品と芸術作品の違いは、
その背景に何を背負っているかという点が大きいと思う。
例えば印象派の芸術家たちがサロンに反駁して新たな時代を築いたように、
人の強い思いが何もかもを巻き込んでいく過程にこそ、
その作品の芸術的価値というものが生まれるのではないだろうか。
そしてギターはその強い想いと常に同居してきた。
そして、そのギター自体が美しさのあまり人の強い想いを引き出すこともある。
絵描きの筆が芸術性を孕んでいるようなとても面白い芸術作品であると私は考えている。

ギターは所詮、音を奏でる道具である。
しかしながらマルセル・デュシャンの「泉」に代表されるように、
単に道具として見ていては気付かない美しさというものがある。
この拙い文章を読んだあなたがギターを芸術作品として捉え、
ギターというものをもっと広い視野から捉えてくれることを願っている。